2012年12月21日

直感トラップの一つ「選択のパラドックス」とは?【譲歩の返報性】

● 今回のテクニック:【譲歩の返報性(2)】

譲歩の返報性とは、「返報性の原理」のひとつ。

相手に譲歩することで、相手もこちら側に譲ってくれる可能性が高まる。

相手とペースを合わせる「ペーシング」の基本。

コミュニケーション相手の言い分をまず受け止めることは、こちらの主張をい
ったん飲み込んで譲歩することと似ている。


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● 今回のコミュニケーション例


マネージャー :
「おい、君のチームのアクションプラン、まだ提出されていないぞ」


部下 :
「ああああ。申し訳ありません。来週まで待ってもらえませんか」


マネージャー :
「今週が提出期限だろう」


部下 :
「申し訳ありません」


マネージャー :
「お前は謝って済むからいいよ。俺は社長に何を言われるか、知ってるの
か?」


部下 :
「いや……」


マネージャー :
「ま、いい。誰が遅れてるんだ?」


部下 :
「5人中、3人が、まだアクションプランを決めていません」


マネージャー :
「何やってるんだ。決めるだけだろう?」


部下 :
「そうなんですけれど、なかなか決められないみたいで」


マネージャー :
「それはアレだよ。吟味する権利、そしてその時間を奪われるのがイヤなん
だ」


部下 :
「吟味する権利、時間ですか?」


マネージャー :
「君のチームは、だいたい何歳くらいのが多い?」


部下 :
「そうですねェ。30代後半が多いでしょうか」


マネージャー :
「そういう世代が一番決められないんだよ。社会人になりたてのときは、そ
うでもなかったのだが、今は高度情報時代。いろんな情報があるから、どん
な選択をすれば、より良い結果が得られるのか吟味できるようになった」


部下 :
「ああ……。昔は、吟味できなかったのに、今は自分で吟味できるようにな
ったから、その時間を楽しんでいる、ということですか」


マネージャー :
「本人にそんな意識はないだろうが、そういうことだ」


部下 :
「いろんな情報を個人でアクセスできる時代になりましたから。便利といえ
ば、便利ですけど」


マネージャー :
「『選択のパラドックス』って知っているか?」


部下 :
「いや、知りませんが」


マネージャー :
「選択肢が増えれば増えるほど、人は選択できなくなる。つまり、決断でき
なくなるということだ」


部下 :
「ああああ。確かに……」


マネージャー :
「情報がこれだけ膨大にあると、目の前にある選択肢だけでなく、まだ自分
の知らない、もっと素晴らしい選択肢があるに違いない。だから今日は決め
ないでおこうと決める、という判断をしてしまうものだ」


部下 :
「決めないということを決める……。それって決定回避の法則ですよね」


マネージャー :
「そうそう」


部下 :
「情報が多すぎても、よくありませんね」


マネージャー :
「選択肢が増えることは、我々に自由ではなく、無力さをもたらす、と言っ
たのは心理学者のシュルツだ」


部下 :
「へええ」


マネージャー :
「わかった。来週いっぱいまで待とう。ただし、条件を吊り上げてもいいか
な?」


部下 :
「あ、はい」


マネージャー :
「すべてのアクションプランは必ず数値表現を入れてくれ。そして、来年の
最初の出勤日のときに、社長の前で宣言してもらう」


部下 :
「社長の前で……」


マネージャー :
「『儀式』だ」


部下 :
「わかりました。私を含め、チームのメンバー全員にさせます。吟味する時
間を楽しんだんですから、それぐらい仕方がないですね」


……何か新しいことをスタートさせる。何かを改革する。そのための決断をす
る。

そのためには「儀式」をすることが、とても有効です。

決断とは、決めて断つ、ということです。過去を断ち切って新たなスタートを
切るということですから、

何らかの「節目」のタイミングで実施するのが一番いいですよね。

もうすぐ2013年。

「節目」を迎えたときは、普段よりもストレス耐性が上がっています。

今から準備して、来年早々に何らかの「決断」をしてみませんか?

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【編集後記】

私が青年海外協力隊から日本へ帰国したのが、1998年でした。

グアテマラという中央アメリカの小国に赴任していたのですが、

未開の土地へ行けば、現代でもまだ、「儀式」を目にすることができました。

荘厳でかつ神秘的な「儀式」をです。

子供から、大人になる。

独り身から、一家の主になる。

妻から、母になる。

いろいろな場面で「儀式」が執り行われていました。

現地人の多くはマヤの末裔です。生贄の習慣もいまだ残っていました。(現代
は鶏などを生贄にしているようです)

そのような国で生活していたせいもあり、

日本に戻ってきたとき、儀式という儀式が崩壊していることに唖然としました。

テレビから流れてきた「成人式」における若者たちの醜態はとてもショッキン
グで、これが途上国から憧れる存在であるはずの日本の実体か、と思いました。

確かに、いろいろな事情はあるでしょうが、

各地で、各組織で、各家庭において、

「節目」を迎えても、なあなあに、昨日の続きが今日であり、今日の続きが明
日になる、というような、

メリハリのない時間の過ごし方になっていないかと、私は思っています。

新年を迎えたときぐらいは、何かを決意したい。

自分の肩書きを変えるぐらいに、過去を断ち切りたい。

なあなあ、で、立ち止まることなく、何となく時間を流していると、

年齢を重ねても、いつまでも子供のまま。

結婚しても、いつまでも独身のように振る舞う。

管理者になっても、まるで部下と同じような目線で経営者に文句をつける。

こういうことが増える気がします。

普段は決められない人でも、「節目」のときぐらいは、何かを決断したいです
ね。

簡素でもいいですから、そのための、何らかの「儀式」があっていいと思いま
す。